2007年08月11日
むつ市 その1
6月23日(土)
始発の東京発の東北新幹線を使っても、下北方面に行く電車の乗り継ぎが非常に悪いため、むつ市に着くのは13時。飛行機で行っても同じ時間になります。(平日だとさらに乗り継ぎが悪くて14時を超えてしまいます。)
初日は大湊駅から市内の史跡をいくつか回って、図書館の郷土資料の確認をしました。
大湊駅からスタートです。

大湊駅裏手にある「斗南藩上陸の地」です。場所の案内や、周りの環境など、もう少し何とかしたほうがいいですね。

大平工業団地です。奥に見えるドーム方の建物は「しもきた克雪ドーム」ですが、他にほとんど建物が建っていません。下北らしさを感じるポイントの一つです。

むつ市有形文化財に指定されている鈴木誠作記念館(旧大湊ホテル)です。市立図書館は隣にあります。

図書館は最近できたばかりなので、なかなか立派です。利用者はあまりいない印象を受けました。おかげで郷土資料の確認は独占状態でした。とりあえず下北半島の各町村資料を確認。

17時まで図書館で調べものをしてホテルまで歩いて帰りました。途中まだ明るかったので、いくつか寄り道をしました。柴五郎(後の陸軍大将)が少年期を過ごした居住跡はむつ市運動公園の裏手にあります。国道沿いの入口に案内があります。

初日まわった墓は偶然見つけた寺子屋師匠の菊池入江の墓だけです。

2007年08月08日
青森シリーズ2007
6月にむつ市を4日、7月上旬に弘前市内と岩木山南麓を3日、夏休みに弘前市北部から南津軽郡、北津軽郡、五所川原市、西津軽郡の各地の史跡を9日の計16日間、史跡巡りをしてきました。
ちょっと忙しくて更新がまたまた止まってしまいましたが、次回更新から青森でまわった町や史跡について、写真をつかって紹介していきます。
2007年06月23日
田中神社(岡山市)
岡山朝日高等学校の北に隣接する国富東公園に田中神社と呼ばれる小さな神社があります。この社には、宇喜多直家と三村元親との間で繰り広げられた明善寺合戦で戦没した将兵の首塚が祀られています。

三村軍の先鋒大将で、この地で足に重傷を負った庄元祐が、亡くなった将兵の霊と自分の足の怪我の治癒を記念して建立したと言われており、現在も足の怪我や病気の神様として信仰されています。(参考:田中神社由来書)
庄元祐は明善寺合戦で戦没したとの説もあり、そのことからこの首塚を庄元祐の墓として紹介されることもあります。

田中神社は、かつて元第六高等学校(現在の岡山朝日高等学校)の敷地内にありましたが、土地の人の懇願により、学校に隣接する田圃の中に移転しています。田圃の中にあったことから田中神社と呼ばれたそうですが、その後の宅地化や昭和41年の区画整理事業により、現在地に再度移されています。
2007年06月22日
頓宮基雄の墓
下の写真は頓宮基雄(とんぐうもとお)海軍機関大尉のお墓です。大尉のお墓は東山墓地と隣接する平井山墓地の二ヶ所にあります。

平井山の墓(写真右)

東山の墓(墓誌に名あり)
頓宮基雄氏は大正3年海軍大尉に任官し、厳島分隊長となります。大正5年航空隊に編入され、同年3月20日、東京の上野公園で開催された海の博覧会の開会式会場の上空を展示飛行しますが、その帰途、芝明舟町の人家に墜落し亡くなっています。
芝明舟町は現在の港区虎ノ門二丁目3〜9番地にあたります。
2007年06月15日
津田弘道の墓
半田山の浦上家墓地のすぐ上段に津田弘道の墓があります。

津田弘道は幕末の岡山藩を代表する人物の一人で、維新後は官吏として佐渡鉱山長や大審院判事等を務めています。

岡山はもともと市内の寺院墓地ではなく郊外の山裾の墓地にお墓を建てているので、戦災の被害も少なく、都市開発の影響も受けていないので、一族の墓が多く残っているようです。
2007年06月13日
片山正重の墓
浦上家の墓に隣接して岡山藩に仕えた和算家の片山正重(号静窓)の墓があります。

片山家墓地
幕府天文方渋川景佑のもとで天文学を学び、幕府が実施した天保の改暦では岡山藩の命で改暦御用を務めています。

片山正重の墓
2007年06月11日
浦上玉堂夫人の墓
昨日紹介した浦上家の墓から北に少し行ったところに、浦上玉堂夫人(市村安)と成田充美夫人(浦上玉堂長女の之)の墓が並んであります。

両夫人とも碑文が刻まれており、ともに岩手県出身で松前藩に仕えた大原呑響の撰文になります。浦上玉堂夫人の墓は長子で画家として有名な浦上春琴が建てたものですが、春琴が母親をとても大切にしていたのが十分伝わってくる半田山屈指の名墓です。
2007年06月10日
浦上秋琴の墓
半田山墓地の東端最頂部に近いところに鴨方池田家に仕えた浦上家の墓があります。

下の写真は幕末の画家で会津藩に雅楽方として仕えた浦上秋琴の墓です。隣には「浦上玉堂春琴秋琴三先生胎髪之碑」があります。

浦上家の墓があるあたりは半田山墓地でもいちばん見晴らしのいいところで、ここから北方向にかけて名墓のオンパレードになります。
2007年06月09日
半田山墓地(岡山市)
下の写真は岡山市中心部から北に3キロほど行ったところにある半田山墓地です。周辺には岡山理科大学、同附属高校、半田山植物園、岡山大学津島キャンパスなどがあります。

半田山の南側斜面に沿って多くの墓が建てられています。道は迷路のように入り組んでいるため、ひとまわりするのも一苦労です。
ここにも東山墓地同様、江戸時代の墓が多く残っています。その多くは墓地上部の景色のいいところに集まっています。

半田山では40人ほど人名事典に出てくる人物の墓を確認できました。半日程度しか時間をかけることができなかったので、何人か確認する事ができませんでした。また一度機会を作って訪ねて見るつもりです。
2007年06月08日
瀧川辰政の墓
岡山市小橋町の国清寺の墓地は、戦前は本堂の西と東にありましたが、戦後の区画整理で、西側の墓地の多くが東山墓地に移転しています

東山墓地には岡山藩に仕えた上級武士の墓が移転しています。この中に瀧川一益の子といわれる瀧川辰政の墓があります。

瀧川家墓所

瀧川辰政の墓
